東国寺とは

 韓国南西部の港町、全羅北道群山市に全国で唯一の日本式寺院「東国寺」が残っている。かつて日本統治時代の建物が次々と取り壊された時代もあったが、今では文化財として長く保存していこうという機運が高まっている。しかし、傷んだ本堂を修復しようにも財源は限られており、関係者は日本の仏教界にも広く支援を呼び掛けている。

東国寺は戦前に日本人が多く住んでいた旧市街の外れにひっそりとたたずんでいた。曹洞宗の僧侶、内田仏観が1909年に開いた「錦江禅寺」が前身で、現在の本堂は1913年に建立された。本堂は日本で見慣れた寺院建築そのもので、屋根の形は韓国の寺院とは異なり、上部が直線の入母屋造りだ。

庭には当時の寄進者の名前が刻まれた梵鐘(ぼんしょう)が今でもつるされている。内部も当時の姿をとどめており、見事な欄間や和太鼓が残されていた。現在は大韓仏教曹渓宗に属し、1970年に「東国」という韓国の別名にちなんで、現在の名前に改められた。建物は日本式だが、「韓国の寺」だという思いが込められている。2003年には登録文化財に指定され、保存に弾みが付いた。

東国寺の本堂内部は日本統治時代の姿をそのままとどめている。東国寺の僧侶、宗杰(チョンゴル)さん(52)は、「日本時代の寺はここにしか残っていないからできるだけ当時の姿を残したいが、修復が難しい。本堂の畳は傷みが激しかったので仕方なく5年前に撤去したが、韓国では畳が手に入らない」と話した。屋根も日本式の瓦が入手困難なため、コンクリートで補修した個所が痛々しかった。
宗杰総務は「修復には多額の費用がかかるので、日本の仏教界にも支援を求めているが、なかなかうまくいかない」と悩みを打ち明けた。

群山は戦前、かつて湖南平野の米を日本に積み出す港として栄え、寺の近くには日本式の家屋が数多く残っている。
最近は日本統治時代の建物を訪ねて群山を訪れる日本人の姿もちらほら見られるという。東国寺では近く、境内に日本語の案内板を設置する予定で、宗杰総務は「一人でも多くの日本人観光客に訪れてもらいたい」と話していた。
東国寺の境内にある梵鐘。日本統治時代の寄進者の名前が刻まれている。

<引用:朝鮮日報JNS (07.12.30) 宮城英二、東国寺のウェブサイトより>

http://www.kampoo.com/travel/jb/gunsan/dongguksa_temple.htm

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